STORY

もっとTAKARAのことを知ってほしいから。
4つのストーリーを紹介します。

STORY #03

日本の衛生を、世界のEISEIに。

03

日本に上水道ができてから、世界1、2位を誇る水道システムになるまで。

江戸時代に徳川幕府が開かれ、日本で初めて上水道ができました。現在の日比谷公園・皇居外苑の辺りは浅海で、当時の水源であった井戸には塩が混じり、江戸は生活水に恵まれた場所ではありませんでした。そこで徳川幕府は何代にもわたって上水を整備させ、神田川上水と玉川上水が明治時代まで人々の生活を支えることとなりました。

他分野の近代化が進む一方、2つの上水では依然として、浄水されていない河川水そのものが地下の石樋・木樋を通して市内の上井戸水に配水されていました。さらに明治維新後の混乱で水道を所管する組織が変転し、浄水路に通船を許可したり、水道料金の徴収が行われなかったりなど、管理が行き届かない時期も。そんな中、コレラの大流行が起こり、死者が全国で11万人を超える惨事となりました。水源である多摩川沿岸でもコレラの汚物騒ぎがおき、赤痢や腸チフスといった不衛生な飲み水に起因する水系感染症の患者が後を絶ちませんでした。このようにして、西洋式の近代水道の創設は急を要するものとなったのです。

近代水道は、予算や用地買収の問題、さらに戦争による資材・労働力不足に直面しながらも、横浜、函館、長崎、大阪と、大都市や貿易の拠点となる場所を中心に敷設されていきました。この近代水道の恩恵を受けられたのは、明治時代末頃までは人口の10%にも届いていませんでしたが、昭和15(1940)年頃には約30%まで上昇し、平成22(2010)年では97.5%にまで達しました。

現在では、日本の水道システムは普及率だけでなく、その水質の良さや漏水率の低さなどにおいても、主要先進国の中で1、2位を争うほどです。

「水洗トイレ」の誕生は、昭和30年頃。
汚い場所から、清潔でくつろげるレストルームへ。

それでは下水はどうかというと、縄文時代に遡れば、川の上に板を渡してその上で用を足していました。平安時代になると寝殿造りと呼ばれる広い屋敷に住む貴族たちは、今でいうおまるのようなものを使い、江戸時代には糞尿を肥料として使用するためにくみ取り式トイレが登場。当時、糞尿はくみ取り業者によって運びだされ、商品として流通していました。

日本で「水洗トイレ」が誕生したのは、昭和30年頃でした。下水道の発達や化学肥料の使用拡大で糞尿の価値が下がったことで、くみ取り式トイレに代わって普及していきます。温水洗浄便座の輸入販売がはじまったのは昭和39年のこと。その後、国産製品も開発されて一般家庭に普及していきました。今ではシャワー機能だけではなく、抗菌機能の付いた便座、自動で脱臭する便器、人の気配で便座が自動的に開閉するセンサー機能など、さまざまな機能が付いたトイレへと進化しています。

今や日本のホテルや商業施設などのトイレは、決して汚いものではなく清潔でゆっくり休憩できるレストルームになっています。そんな日本の衛生設備を、途上国に伝えようとする日本の企業がありました。それがTAKARAです。

建築の設計図にトイレがない!?
途上国における衛生設備の不備がもたらす経済損失。

2010年頃、ベトナムで設計の仕事を請け負ったTAKARAの代表者は、外食すれば三つ星ホテルでも食当たりをおこす、シャワーから錆びた色をした水が出る、田舎の街に行くとトイレが汚れていてどうにも使えないという経験をしました。

上下水道の両面からの問題を解決する必要があると感じましたが、水を浄化するには資金が必要です。水以外にも多くの解決すべき課題を抱え、その費用も乏しい国にとって衛生設備の優先順位は低くなる傾向があります。また、そのような地域では衛生設備の改善は経済成長の結果であり、経済成長を決定づける要因であるとは考えられていませんでした。

そこで、衛生設備の不備が健康、水、環境、日常生活、観光産業などに及ぼす影響を調査し、衛生設備の不備による経済損失や衛生設備改善によって期待される経済効果を検討することにより、衛生設備への投資を促す説得力ある根拠を提示し、衛生設備改善に対する投資がいかに衛生設備の不備がもたらす損失の軽減につながるかを示すことからはじめたのです。

衛生設備がもたらす損失として5つ、健康影響、水資源への影響、環境への影響、日常生活への影響、観光産業への影響、に焦点を当てて調査が行われました。

日本式の水洗トイレをつくり、
多くの人に使ってもらうことで衛生への認識を高める。

調査結果をもとに、衛生設備の普及へと民間企業として働きかけることに。TAKARAは100年にわたり培った衛生設備の技術を大学のゼミという小さな枠組からゼミを通したソフト面のアプローチをすることによって、ベトナム社会の発展へ間接的に貢献しようと考えました。

ダナンは、ハノイ、ホーチミンに次ぐベトナムの第三の都市で、海と山がある素晴らしい環境の中にダナン建築大学があるため、衛生の知識や設備、技術を教えるのに適していました。この活動をはじめた当初、ダナン建築大学の学生たちが描く建物の設計図にトイレがありませんでした。それほど衛生の重要性が認識されていませんでした。

建築の技術を学ぶ学生たちに日本の技術を伝え、さらには高い文化レベル・教養をも育む教育を行うことで、ベトナム国内に留まらず、アジア地域で活躍する模範となる若者を育てていくことで、アジア社会全体への発展に貢献できるのではないか。TAKARAゼミデハ、建築と衛生を学んだ学生たちが設計したトイレをベトナムやミャンマーの大学や公園などに設置する活動を続けています。

改善されたトイレを清潔で過ごしやすいレストルームをひとりでも多くの人に利用してもらうこと。そこから衛生の重要性の認知を広げることが、途上国の真の発展につなげていきます。